宇宙xテクノロジー開発の記録 by Katsuaki

宇宙/ロボット/VRについての調査・研究開発のメモや日常の知恵を公開しています。

Yspaceの誕生秘話 その2

Yspaceってどうやって会社になったの?

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Yspaceのロゴ ©Yspace

こんにちは、田中です。

Ysapceのロゴの黒背景のバージョンの紹介からはじまりましたが、今回は前回に続き、Yspaceの生い立ちの話の後編として紹介します。

前回までの話しは、Yspaceの誕生秘話として以下のURLから確認できます。

https://katsuaki.hatenablog.com/entry/2019/04/29/214949

 

さて、前回HP Mars Home PlanetのProject Marsという日本の学生リーグにYspaceの創業メンバーにて出場することになったことを紹介しました。

この出場が決まったのが、2018年の10月の後半ごろ。田中はちょうど博士論文の執筆の真っ最中で、今考えると良くこのコンテストに参加しようと思ったなとびっくりします。

Project Marsは数段階のフェーズに分かれていて、最初の第一次フェーズの終了が12月の初旬。この第一次フェーズが全国104チームから一気に8チームに絞る過酷な期間ではあったのですが、Yspaceは戦略を練り、見事書類審査一位、第一次フェーズの発表二位で通過することができました。

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第一次フェーズ発表の様子 ©HP
昔のYspaceのロゴが懐かしい。

第一次フェーズがおえると、次にまっていたのは2月後半の第2次の国際フェーズ。いよいよ、日本リーグで戦ってきたアイディアをコンピューター上で表現し(3D CAD)、世界中のエンジニアと戦う時です。

しかし、このころになると、各チームで変化が。あまりにも第一次フェーズの過酷な戦いに集中したせいか、多くのチームが次のフェーズへのモチベーション維持に苦しんでいました。

Yspaceもその例外ではなく、チーム内のモチベーションは下降気味。特に、メンバーの大半が卒業論文に追われていたこともあり、プロジェクトへのコミット度合いは次第に薄まる一方。

その時に、考え始めたのが、次に向けてのモチベーション向上のための戦術。それがこのチームで起業を見据えて活動をするというアイディアでした。

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Yspaceが提案した火星都市、Connective City ©Yspace

思えばきっかけは、2018年の忘年会としての簡単な夕食会。このときに田中がふとこのアイディアをメンバーに持ちかけたことが始まりでした。もちろん、田中も含めてこのときメンバーの誰しもが本当に起業を望んでいたわけではなかったし、ある意味冗談として受け取っていたメンバーも多いはずです。しかし、自分たちのモチベーションをコントロールするための受け皿として、このようなキーワードは後々役に立っていきました。

実はこの後に、もう一つモチベーションをコントロールする要素として高校生とのコラボレーションという考え方も生み出し、実際にそれが最終フェーズでの最優秀賞に大きく貢献することになったのですが、それはまたの機会に。

このようにして、いろいろ自分たちのモチベーションのコントロールも図りながら、プロジェクトを進めていき、2月後半の国際フェーズ、そして4月上旬の最終フェーズと活動を続けていきました。そして、最終的に全国で1位という称号を手にしたとき、起業への道が開かれることになったのです。

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最終フェーズ最優秀賞時の記念撮影

しかし、実際に起業というのはそのようなイベントだけで発生できるものではありません。Yspaceには、起業をするのにあたり、もうひとつ大きな意味がありました。

それは、創業メンバーの多くが参加していた月面探査レースのHAKUTOの経験です。

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HAKUTO ©ispace

Project Marsで最優秀賞を受賞したころと同じころ、世界中で注目をされたGoogle Lunar Xprizeは、3月末をもって勝者なしという異例の形にて幕を閉じました。

チームHAKUTOも最善を尽くし、フライトモデルといわれる打ち上げ用のローバーの製造まで終えましたが、月までの輸送を契約していたインドのチームがロケット打ち上げとの調整が難航した影響を受け、断念せざる終えない結果となりました。

いろいろな困難を乗り越えてきて、最終的な段階にまで入っていたこともあり、この結果は私たちにとっても辛いものでした。もっと早い段階で国民の理解を得られて資金調達ができていたら、もっと早い段階でエンジニアをたくさん集められていれば。そういった「たられば」がどうしても頭をよぎってしまいます。

じつはこのレースの一番の課題は資金調達で、多くのチームが資金調達をできずにレースを辞退していました。宇宙開発を民間でやることに対しての理解が得られにくい状況だったのです。

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Yspaceが提案した火星都市、Connective Cityの3D ©Yspace

そんななか、Yspaceが取り組んできたコンテストは、未来を創造するものであり、またそれをわかりやすい形で表現し、伝えるものでもありました。このコンテストの過程にはイメージを表現する手段として3Dで物を作ったり、VRで動きを表現したりすることが求められ、それぞれの技術をコンテストと並行して身に着けてきました。

これらの手段としての技術が今後の宇宙開発を促進させる道具になるのではないか。自分たちが大学で身に着けてきた知識や技術はこれらと組み合わせるともっと面白いものができるのではないか。

そんな想いが、メンバー間で共通の認識として生まれ始め、Yspaceという媒体を使って表現していくことを決めたのでした。

 

いかがでしたでしょうか。Yspaceの誕生について簡単に紹介をさせていただきました。

記事を見ていただいている人の中で、起業を考えている人もいると思いますが、Yspaceの誕生事例も一つの参考としていただけたらと思います。

 

【田中克明】

(合)Yspace 共同代表(経営戦略、開発指揮)/(株)ispace ローバーエンジニア(モビリティの設計)/早大 招聘研究員(不整地移動技術) ロボット工学で博士号。不整地移動ロボットの専門。システム設計、メカトロ設計。宇宙/ロボット/VR

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