平成生まれの若手でこれからの新しい未来を創る
こんにちは、田中です。久しぶりの投稿になります。
みなさん、2050年はどのような社会になっているのか考えたことはありますか?また、その時にあなたは何をしていると思いますか??
今回は、未来について考えていく面白い取り組みについて紹介したいと思います。
「あまり、お堅い話は勘弁です!!」という人は、エンジニアの生活という変わったブログも展開していますので、そちらを見てもらえればと思います。
未来について考えていく若手の組織についての概要
先日、経済産業省の若手職員を中心として、未来について協議をする若手有識者による委員会「官民若手イノベーション論(ELPIS)」が立ち上がりました。平成生まれが中心となって知恵を絞り、未来のあるべき姿を考え、共有し変えていく場です。若い世代の産官学、具体的には研究者や起業家、ベンチャーキャピタリスト(VC)等の有識者が集まり、議論をする場で、第一回としてコアメンバーによるワークショップが行われました。
なぜこのような組織が生まれたのか
この取り組みは、産業構造審議会 産業技術環境分科会 研究開発・イノベーション小委員会‐中間とりまとめ(2019年6月11日)で議論された内容が発端となっています。この資料を見た、経産省の若手職員の山下慶太郎さんが疑問を投げかけたところから、始まりました。
下記、URLから資料を見てみるとわかりますが、日本でのこれからの産業課題について的確に記述されています。
「ここでは、イノベーションを創る環境について、日本が目指すべき姿とかそこに至るまでの課題、取り組むべき政策とかを書いていますが、正直役所側も有識者もほとんどOver45とか50(中には60ぐらいの人も)といった状況で、これからイノベーションを担う世代にとって意義があるのか疑問視しています。そこで、平成生まれの人たちばかりで、この報告書をベースに、本当に求められている課題感とかを議論しまとめる場を作れないかと考えています。」(山下さんのメッセージ引用)
との強い思いを受け、田中もぜひ協力したい!と思い、活動に参加させていただいています。
研究開発・イノベーション小委員会の資料を見て
これをみて、田中が感じたことは、
・国は有識者を招くことでびっくりするほど、ちゃんと現状(日本の科学技術の衰え→日本の未来の危機)を理解できている。田中は、これまで大学院生活において、国のリーディングプログラムとかEDGEプログラム、特別研究員などを経験しているため、日本における科学技術の暗い未来は理解していましたが、国もここまでしっかりと現状を把握できていることに驚いた。
・ただ、具体的な政策に落とし込む部分が弱く、なかなかピンとくるような政策案がないなぁ。なんとなく今のままの延長で、なにか劇的に変化するようなトリガーとなるような政策はない。結局、現状維持のまま進む感覚が強く、このままゆっくりとなにも変わらずに、衰退していくんだろうなぁ。
といった感覚。
分野横断的な知識が必要とされ、また規模感も大きいのでなかなか難しんだろうなとも思いつつ、国の的確な方針を定めないと本当に日本はダメになってしまうという危機感を感じながら、資料を1日かけて読んでいました。(1つ1つの言葉が重く、使われている言葉が難しい!笑)
失われた30年といわれる「平成」
平成は1990年代にバブルが崩壊してからの約30年間、経済の低迷が続き「失われた30年」と呼ばれるようになってしまいました。自分が生まれた1990年からずっと、失われた時代と呼ばれるのは、何か不快な感覚があります。また、ゆとり教育と呼ばれる学習指導要領の変更を受けた影響でも「ゆとり世代」「さとり世代」と呼ばれることは、平成の若者にとって不快感が残り、若者の思考といわゆる「古い世代」の年配の方々との感覚の差があることを毎回感じることが多くなってきました。
未来を考えるのにあたって、若者の意見が反映されない構造に対する違和感
例えば、2050年の未来について方針を真剣に考えるということを考えたときに、果たして現在の年配の有識者だけで判断をしてしまって良いのでしょうか。50、60歳の年配の方々は、30年後には80、90歳。30年後の未来を具体的に手を動かして創る世代とは決して言えません。2050年の未来を実際に創るのは、現在30歳以下である平成生まれの世代であるといえます。その世代の意見や感覚を無しに、国の方針が決められてしまってよいのでしょうか。
この感覚は、国の政策の話だけではなく、日常の仕事においても同様なことがいえるのではないかと思います。これまで日本の産業を支えてきた優秀な大企業でさえも、年功序列による古い体制などが原因となり、若者の意見が取り入れられにくい環境にあると聞きます。目先の1,2年の成長、または中長期といいながら、3~5年程度でしか未来を考えられない企業の体制に限界を感じてしまいます。むしろ、最近のベンチャー企業のほうが20年、30年先の未来をしっかり見つめ、社会課題を考えながら取り組んでいるケースが目立っています。若者の視点からしたら、どちらに未来を託したいか、一緒になって頑張りたいかと考えた際に、最近のベンチャー就職の人気の傾向が出てしまうのも少しうなずけます。
官民若手イノベーション論(ELPIS)では何がなされるのか
ELPISでは次の世代の中核を担う若手人材が一同に集まり、未来に向けての方針を協議し整理をしていく場です。経済産業省の若手職員山下慶太郎さん、杉山実優さんが中心となって、月に1度程度のワークショップや政策提言に向けた準備を進めています。
「5年後10年後に社会の中核を担っていく世代が、企業・大学・官庁問わず集まり、これからの社会像を描き、自分たちに出来ることを考えて実施する。ここで生まれた何かが、政策になるか、ビジネスになるか、一発のイベントで終わるかは分かりません。でも若手の声がなかった政策形成の場に、若手の声を届けることは、省内だけでなく世の中へのインパクトも大きいと考えています。皆さまそれぞれのご知見をたくさん頂いて、大きなインパクトを生んでいきたいです。ハードなチャレンジではありますが、お力添えください!」(杉山さんのメッセージ引用)
第1回のコアメンバーによるワークショップの内容は?
初回のワークショップでは、2050年の未来について考える会となりました。
・「2050年はどのような社会になっていると思うか」
・「そのとき自分は何をしているのか」
について考え、アイディアを共有し、全体の進むべき方向性について議論することで、
・2050年は現在と何が違うのか
・2050年に向けて何をしていく必要があるのか
について整理をし、大きな課題について共通の認識をもつことができました。
具体的には、以下の方法で進められました。
1.事前準備
「2050年はどのような社会になっていると思いますか?」「そのときあなたは何をしていますか?」の2つの問いを考えてください。(PPTにまとめて事前に共有)
という事前課題を受け、指定のフォーマットに考えをまとめる作業
田中は、以下のようにまとめました。
科学技術は発展し、宇宙での仕事も当たり前になっている世界。そんな2050年では、地球では人工知能やロボット技術による自動化技術が発達し、仕事の役割や労働時間が変化するために、エンタメ等の「娯楽」が重要になると予想しています。
そんな時代では、高頻度で移り行くイノベーションの変化に対応するための幅広い知識が求められてくると感じ、ビジネス・技術の双方を理解できるような柔軟な人材が求められ、常に勉強をし続ける姿勢が大切になるかと。また、働き方の変化も顕著になり、趣味でお金を稼ぐことが当たり前の時代になるのではないかと考えています。
2.2050年のアイディアの共有
・会の冒頭ではアイスブレイクとして、2050年の自分の様子を絵に描くというお題が出されました。絵は恥ずかしいですが、共有します(5分くらいで書きました)
田中は、田舎でロボット農業をしながらら、遠隔で研究や仕事もこなし、生活を豊かにする取り組みをつづけて行っているのではないかと思います。絵に描くとなかなか難しいですが、重要なスキルですね。良い勉強になりました。
また、この絵と合わせて、事前課題の内容を共有し、それぞれの人がどんな未来像を持っているのかについてアイディアを共有しました。
似たような未来像を持っている有識者の方が多くてびっくり。想いや考え方に共感できる部分が多く、すぐにうちとけました。また、地球環境などの基盤となる社会課題について具体的な課題意識まで持ち合わせている有識者の方の意見も聞けてとても勉強になりました。
3.30年後の未来を考える(関係するステークホルダーごとにイメージ)
(※ステークホルダー:国、企業、大学、個人、テクノロジー、自然、ロボットetc)
ディスカッションでは、各ステークホルダーごとに分けて、どういった役割が必要かについて考えました。多くの方は、「産」「官」「学」の3つのステークホルダーの関係性について説明されていました。
田中は、1つレイヤーを上に考えて捉えて、
・個人
・組織
・未来
がどのように関係してくるのかについて考えました。
というのも、2050年に向けてこれから、「個」が重要になってくる時代になると考えていて、それを強調したかったという背景があります。
「個」が果たすべき役割や、「組織」でしかできないことなどを明確に考えることで、どうやって未来を創っていくかについて考えることが重要なのかなと思いました。
4.30年後そうなっているためのカギになるトリガー(技術イノベーションや人材育成etc)を考える
2つ目のお題は、2050年に描いた状態になるための大事なことをブレイクダウンするという内容。しかもそれを自分ではなく、お隣の有識者の未来をブレイクダウンするといった面白い取り組み。なかなか自分の内容でも難しいのに、他の人のロードマップを描くのは、とても難しい。ただ、このワークを通して、他の有識者の具体的な考え方や想いを正確に把握する良い機会となりました。
こちらは、田中の未来を杉山さんに描いてもらったもの。
現在と2050年の大きな違いは、個人の位置づけとなると分析してもらい、それまでに「個人」と「組織」の役割をどう変化させられるかがトリガーとなると教えてもらいました。そのために、兼業の仕組みややICTを使った働き方の変革が可能な仕組みづくり、組織にとらわれないマインドセットや「アート、スポーツ」といった娯楽、エンタメ等にも近い新しい価値の創出に向けてバックアップしていく活動が重要になると整理してもらい、とても参考になりました。
ちなみに、田中が杉山さんの未来のロードマップについて描いたものがこちら(勝手に載せてすみません)
杉山さんは、2050年の人口減少、様々なものの多様化の時代背景から同じく「自律した個人」が重要になると考えていて、それを国が支援しながら、持続可能な社会(食など)を作り上げることが重要と考えていました。
そこで、その仕組みづくりとして、
・組織としての国家を政策としてどのように築づきあげていくのか」
・自立した個人を作り上げていく(多様化の時代に向けて)のためにどのような教育の仕組みでまずは自分が育ち、周りも育て上げていくのか
といった2つの軸が必要になるのではないかと分析しました。
そこで、現在の活動でもあるELPIS等の活動によって、人を集め仕組みの土台を作り上げていくことと、その途中で、その仕組み自体を自律化させる取り組みの2つが重要になると考え、これらをどう設計していうかが重要になるのではないかと議論しました。
このように、様々な未来に向けての課題の共有とそれに向けての方向性について様々な形で議論がされました。
5.まとめ。2050年はどのような社会になっていたら良いと考えたか
最後には、各グループごとでのアイディアをまとめ、グループごとでもアイディアを共有する場となりました。
今回のワークショップを通して、
2050年の未来に向けて、
・まずベースとして持続可能な社会をどう作り上げていくか(must haveの部分)
・その上で、フロンティア技術としてどう新しい未来の技術をつくっていくか(nice to haveの部分)
・最後に、その上で個人や社会の幸せについて考える(娯楽等)
ことが重要と考え、それらのバランスをどう設計していくのかがとても重要と感じました。また、社会の構造として、組織と個人がどう成長してくのか。また組織同士での役割をどうもたせるのか。ここら辺が大きな課題設定の土台になるのかなと。
今回のワークショップで未来に対する考え方やアイディアが整理され、抽象的ではありますが、今後の未来を考える上での土台が形成できたと考えています。
最後に
この取り組みは引き続き進められ、最終的には若手からの政策提案やビジネスの創出につながると考えています。今回は初回でしたが、すでにいくつかの課題解決のアイディアも生まれてきています。今後はこの活動から本当の意味で未来が変わる何かが生まれることが期待されます。自分もその一部に貢献ができるよう努力を続けていきます。
P.S.
最初の集合写真で一番学生かのように寝転がっている「お兄様」は経産省のとてもお偉い方です(笑)。若者の立場になって、毎回参加してくれて、いろいろとアドバイスをくれています。また毎回の面白い軽快なトークが好きで、面白いんだけど、一つ一つの内容に重要な要素が入っていて意味があり、かつ無駄がない。こんな話し方ができる人はなかなかいないなと毎回感銘を受けています。
Yspaceの誕生秘話 その2
Yspaceってどうやって会社になったの?
こんにちは、田中です。
Ysapceのロゴの黒背景のバージョンの紹介からはじまりましたが、今回は前回に続き、Yspaceの生い立ちの話の後編として紹介します。
前回までの話しは、Yspaceの誕生秘話として以下のURLから確認できます。
https://katsuaki.hatenablog.com/entry/2019/04/29/214949
さて、前回HP Mars Home PlanetのProject Marsという日本の学生リーグにYspaceの創業メンバーにて出場することになったことを紹介しました。
この出場が決まったのが、2018年の10月の後半ごろ。田中はちょうど博士論文の執筆の真っ最中で、今考えると良くこのコンテストに参加しようと思ったなとびっくりします。
Project Marsは数段階のフェーズに分かれていて、最初の第一次フェーズの終了が12月の初旬。この第一次フェーズが全国104チームから一気に8チームに絞る過酷な期間ではあったのですが、Yspaceは戦略を練り、見事書類審査一位、第一次フェーズの発表二位で通過することができました。
昔のYspaceのロゴが懐かしい。
第一次フェーズがおえると、次にまっていたのは2月後半の第2次の国際フェーズ。いよいよ、日本リーグで戦ってきたアイディアをコンピューター上で表現し(3D CAD)、世界中のエンジニアと戦う時です。
しかし、このころになると、各チームで変化が。あまりにも第一次フェーズの過酷な戦いに集中したせいか、多くのチームが次のフェーズへのモチベーション維持に苦しんでいました。
Yspaceもその例外ではなく、チーム内のモチベーションは下降気味。特に、メンバーの大半が卒業論文に追われていたこともあり、プロジェクトへのコミット度合いは次第に薄まる一方。
その時に、考え始めたのが、次に向けてのモチベーション向上のための戦術。それがこのチームで起業を見据えて活動をするというアイディアでした。
思えばきっかけは、2018年の忘年会としての簡単な夕食会。このときに田中がふとこのアイディアをメンバーに持ちかけたことが始まりでした。もちろん、田中も含めてこのときメンバーの誰しもが本当に起業を望んでいたわけではなかったし、ある意味冗談として受け取っていたメンバーも多いはずです。しかし、自分たちのモチベーションをコントロールするための受け皿として、このようなキーワードは後々役に立っていきました。
実はこの後に、もう一つモチベーションをコントロールする要素として高校生とのコラボレーションという考え方も生み出し、実際にそれが最終フェーズでの最優秀賞に大きく貢献することになったのですが、それはまたの機会に。
このようにして、いろいろ自分たちのモチベーションのコントロールも図りながら、プロジェクトを進めていき、2月後半の国際フェーズ、そして4月上旬の最終フェーズと活動を続けていきました。そして、最終的に全国で1位という称号を手にしたとき、起業への道が開かれることになったのです。
しかし、実際に起業というのはそのようなイベントだけで発生できるものではありません。Yspaceには、起業をするのにあたり、もうひとつ大きな意味がありました。
それは、創業メンバーの多くが参加していた月面探査レースのHAKUTOの経験です。
Project Marsで最優秀賞を受賞したころと同じころ、世界中で注目をされたGoogle Lunar Xprizeは、3月末をもって勝者なしという異例の形にて幕を閉じました。
チームHAKUTOも最善を尽くし、フライトモデルといわれる打ち上げ用のローバーの製造まで終えましたが、月までの輸送を契約していたインドのチームがロケット打ち上げとの調整が難航した影響を受け、断念せざる終えない結果となりました。
いろいろな困難を乗り越えてきて、最終的な段階にまで入っていたこともあり、この結果は私たちにとっても辛いものでした。もっと早い段階で国民の理解を得られて資金調達ができていたら、もっと早い段階でエンジニアをたくさん集められていれば。そういった「たられば」がどうしても頭をよぎってしまいます。
じつはこのレースの一番の課題は資金調達で、多くのチームが資金調達をできずにレースを辞退していました。宇宙開発を民間でやることに対しての理解が得られにくい状況だったのです。
そんななか、Yspaceが取り組んできたコンテストは、未来を創造するものであり、またそれをわかりやすい形で表現し、伝えるものでもありました。このコンテストの過程にはイメージを表現する手段として3Dで物を作ったり、VRで動きを表現したりすることが求められ、それぞれの技術をコンテストと並行して身に着けてきました。
これらの手段としての技術が今後の宇宙開発を促進させる道具になるのではないか。自分たちが大学で身に着けてきた知識や技術はこれらと組み合わせるともっと面白いものができるのではないか。
そんな想いが、メンバー間で共通の認識として生まれ始め、Yspaceという媒体を使って表現していくことを決めたのでした。
いかがでしたでしょうか。Yspaceの誕生について簡単に紹介をさせていただきました。
記事を見ていただいている人の中で、起業を考えている人もいると思いますが、Yspaceの誕生事例も一つの参考としていただけたらと思います。
【田中克明】
(合)Yspace 共同代表(経営戦略、開発指揮)/(株)ispace ローバーエンジニア(モビリティの設計)/早大 招聘研究員(不整地移動技術) ロボット工学で博士号。不整地移動ロボットの専門。システム設計、メカトロ設計。宇宙/ロボット/VR
・Twitter:https://twitter.com/katsuaki_robot
・ホームページ:https://sites.google.com/site/katsuakitanakahomepage/
・お問い合わせ:k-tanaka@yspace-llc.com
Yspaceの誕生秘話
Yspaceってどうやってできたの?
こんにちは。田中です。
今回は、共同代表を務めている合同会社Yspaceがどうやって創設されたのかについて紹介いたします。じつは、こういった記事が書きたくて、会社の記事とは別に個人用のブログを開設した経緯があります。
まずは、合同会社Yspaceについて簡単に紹介させていただきますね。
”Yspaceは宇宙×テクノロジーによって、宇宙開発を促進させることを目指す宇宙スタートアップ企業です。航空宇宙工学やロボット工学の専門分野を軸に、宇宙と最先端のテクノロジーを融合させ、世界の人々に”初めて”の体験を届けることを目指しています。”
というのがWebページでの紹介。ざっくりいうと、宇宙というテーマに最新のテクノロジーをいろいろかけ合わせると、新しい”もの・こと”を創ることができて、それを一般の人々に届けたい!というのが会社の目指しているところです。
もともと、Yspaceが誕生するきっかけとなった大会があって、それが、
「HP Mars Home Planet」
というアイディアコンテスト。
”人類100万人が火星に暮らすことのできる都市をデザインせよ”
といった、かなりチャレンジングな内容のアイディアコンテストですが、こちらのコンテストに創業メンバーで出ることにしたのが、最初のきっかけとなりました。日本では「Project Mars」という学生のリーグを(株)日本HPを主体に開催。最終的に日本でも100チームを超える大きなアイディアコンテストとなりました。
コンテストの出場も、登録締め切り日の前日の深夜にある教授から直接電話をもらって、面白いから出てみないかと誘われたのがきっかけ。次の日の昼までの残り12時間でメンバーを集めないといけないという無茶ぶり。
当時、電話を受けた田中は大学院生でしたが、まずは研究室内の興味がある学生から誘ってみると、すでに他のチームで申し込んでしまっているとの声が多数。最終手段だと思って、当時インターンをしていた(株)ispaceのインターン生のLINEグループにお誘いをすることになりました。
このようにして、ある意味即席でつくったチームがYspaceであり、しかしながら現在にいたるまで続けて活動をすることになるとは、このときは思ってもなかったのですが。
(株)ispaceは民間で宇宙開発を進める、テクノロジーカンパニー。Google主催の世界的な賞金レースである、Goolgle Lunar Xplrizeで日本からの唯一の出場チームHAKUTOしてご存じの方もいるかもしれません。田中は、大学院の博士課程2年生のころから続けてインターンとして活動をしていました。現在は、大学院修了後そのままispaceのエンジニアとして働いています。
宇宙開発を目指す企業のインターン生たちも、とても志が高い人たちが多く、また宇宙に詳しい人たちでもありました。大学こそ違えど、このメンバーでチームを作ったら絶対に強いチームができるだろうなとの確信もあり、チームをまとめることにしました。そして、半年間に渡って、Project Marsの活動が続き最終的にこのメンバーで最優秀賞というタイトルを獲得するに至ることとなったのです。
ここまでは、Yspaceのメンバーがどうやって出会い、一つのチームとして活動するようになったかまでの話。この後、いろいろな試練に巻き込まれ、苦難を乗り越えて会社設立にまで至ったわけですが、その話は次回の話でご紹介できればと思います。
次回のブログの更新もお楽しみに。
【田中克明】
(合)Yspace 共同代表(経営戦略、開発指揮)/(株)ispace ローバーエンジニア(モビリティの設計)/早大 招聘研究員(不整地移動技術) ロボット工学で博士号。不整地移動ロボットの専門。システム設計、メカトロ設計。宇宙/ロボット/VR
・Twitter:https://twitter.com/katsuaki_robot
・ホームページ:https://sites.google.com/site/katsuakitanakahomepage/
・お問い合わせ:k-tanaka@yspace-llc.com
宇宙xテクノロジーの記録の始まり
これからやってくる 宇宙 x テクノロジー の時代とは?
こんにちは。田中です。
いきなりですが、最近、世界各国で宇宙開発が盛んにおこなわているのをご存知でしょうか。
今年は、1969年にアポロ計画にてアメリカ航空宇宙局(NASA)による人類初の月への有人宇宙飛行が成功してから、50周年を迎える年でもあります。
これまではNASAや宇宙航空研究開発機構(JAXA)を中心として、国が宇宙開発の方針を定めて、大企業が主にロケットや衛星の開発を進めるという時代が続いていました。
しかし、最近ベンチャー企業等の民間企業が主体となってプロジェクトを進めるというNew Spaceという新しい考え方が流行ってきていて、民間主導の宇宙開発が盛んにおこなわれるようになりました。
また、その流れに合わせるように、宇宙を利用した教育・エンタメ等の二次利用としての活動も増えてきていて、いよいよSF映画にあったスターウォーズの時代が訪れるようになるのかなと期待が持てるような時代に変わってきています。
田中は、そんな宇宙開発が盛んにおこなわれるようになった時代の中、いろいろあって宇宙xテクノロジーに携わることとなったエンジニアの一人です。
著者について
普段は(株)ispaceにて月面探査車(ローバー)の設計のお仕事をしつつ、(合)Yspaceにて共同代表として宇宙XRのコンテンツを作成しながら、宇宙開発について一般の人に伝える活動をしています。また、たまに大学時代の研究室に行って、招聘研究員として研究(主に論文調査や研究指導)をしたりしています。
本ブログでは、そんなエンジニアの活動の記録や、いろいろ調査した内容をまとめたりする場として利用していきます。
ブログの更新を楽しみにしてもらえると嬉しいです。
【田中克明】
(合)Yspace 共同代表(経営戦略、開発指揮)/(株)ispace ローバーエンジニア(モビリティの設計)/早大 招聘研究員(不整地移動技術) ロボット工学で博士号。不整地移動ロボットの専門。システム設計、メカトロ設計。宇宙/ロボット/VR
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